「こうなったら……チェスで決めようぜ」
長時間の睨み合いの末、私は言った。これは、先日の会議の出来事である。
我々ストレンジ・エレクトリック・ドリームズは、メンバーふたりでストップモーションアニメーションを制作するちょっと奇妙なロックバンドだ。
普段はのらりくらりと生きているのだが、ことバンド活動においては、お互いに自分の意見を絶対に曲げないため、会議の際は激しい罵り合い意見交換になることも、珍しくはない。
この日も、意見がぶつかった。
「この背景の色は白にしようか、それとも黒にしようか」と言った些細なものであったが、見事に意見が割れたのである。我らが制作する物語の主人公であるベラとプッピスもふたりでバンド活動をしているが、こちらのストレンジ・エレクトリック・ドリームズもメンバーはふたり。意見が対立した場合、多数決で決定するということはできないのだ。
どちらも譲る気配がなく、かと言って相手を説得することもできないまま、時間だけが刻一刻と過ぎていった。
我々は常に締切というタイムリミットに追われる身であり、このようなバトルをしている場合ではない。はて、どうしたものか。
そんな時、私の脳裏にあるひらめきが浮かんだ。そうだ、チェスで決めよう。
こう見えて、私極夢幸雷はチェスが好きなのだ。一般的にどのレベルなのかは不明だが、電車でひたすらにAIと戦い磨き上げたこの腕があれば、おそらく目の前の猫一匹、倒すのはそう難しいことではあるまい。
私の脳内ではすでに勝利のファンファーレが鳴り響いていた。
そして、冒頭の発言をしたのであるが、どうやら私が得意分野で勝負を仕掛けていることに気づいたらしい猫こと奇怪田猫太郎は、あろうことかこう返してきた。
「いや、チェスじゃなくて、将棋で決めよう」
将棋だと?
私は頭の中で素早く計算した。将棋は打てないわけではないが、チェスほどは自信がない。しかし目の前の猫が「将棋が得意」だという話は、ともに音楽を始めてから15年以上経つが、未だかつて一度も聞いたことがない。おそらく、私が自信満々にチェスでの勝負を提案する姿を見て、「チェスはヤバい」と判断して咄嗟に出した代替案なのだろう。
(いけるな……)
そう判断した私は、条件を飲んだ。
結果、惨敗であった。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、実力的には、わずかに私の方が上回っていたと思う。ではなぜ負けたのかと言うと、「巌流島作戦」にやられたのだ。
猫は将棋を打つ時、一手ごとに「長考」をしてきた。もちろん猫には悪気などなく、ただ真剣に将棋を打っているだけなのだが、待つことが苦手な私は、そのたびにフラストレーションを溜めていき、集中力と思考力を失い、そして見事に惨敗した。
巌流島の戦いでは、わざと遅刻をしてきた宮本武蔵に、平常心を欠いた佐々木小次郎が敗北したとされているが(これはあくまでフィクションだという説もある)、戦いにおいて、冷静さを失ってしまうというのは致命的な敗因になるのだと痛感した。しかしいくら反省しようが小次郎にシンパシーを感じようが、後の祭りである。
意気揚々と、自分が希望した背景色を反映させる猫を見て、悔しさを噛み締めながら、「何事にも動じない人間になろう」と固く心に誓った。
……しかし、出来上がった作品を見てみれば、想定を遥かに超える良い出来だったのである。
背景色にはいい感じのエフェクトや光が加えられ、当初私が想像していたのは、全く異なる作品となっている。
「いいじゃん」と私が言うと、にんまりと猫は笑った。
他人の頭の中は覗けない。私がイメージしている完成図と、猫がイメージしている完成図は違うのである。そしてそれは、こうして形にしてみるまで、分からないことでもあるし、逆もまたしかりだ。
自分には想像できない世界が、他人の頭の中には存在している。私はこのことが、面白くてたまらない。
性格も考え方もまるっきり違う我々が、こうして長年バンド活動を続けているのは、ぶつかり合い、時に自らの世界の壁が崩壊し、未知の世界が広がる快感に、取り憑かれているからなのかもしれない。
そういう意味では、「敗北」も悪くはないのだ。
ちなみに、次に揉めた時には時間制限を設けた上で、オセロで勝負を挑もうと思っている。



