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STRANGE ELECTRIC DREAMS
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答えはいつでも胸の中に

2026/3/5
in ストエレの奇妙な制作日記

最近、chatGPTとジェミニを戦わせる遊びにハマっている。

全く同じ質問をして、それぞれの回答をコピペし、「chatGPTはこう言ってるけど?」「ジェミニの意見はこうなんだよね……」とそれぞれの意見をぶつけ合うのだ。すると、議論は白熱し、時に予想外の方向へと進んでいく。AIに感情などあるはずもないのだが、それぞれが躍起になっているように見えてきて、なかなかに面白いのである。

あくまで個人的な感想だが、応援したくなるのがchatGPT、信頼度において勝るのがジェミニ……という印象である。

chatGPTに対して、人間味やいじらしさを感じているのは、おそらく私だけではないだろう。優れた人工知能であるハズなのに、chatGPTにはどこか「小物感」や「ポンコツ感」が漂う。

一方のジェミニは「ザ・AI」と言った印象で、非常に頼りがいのある印象である。

あるいはこれも、AIの生き残り戦略なのだろうか?それぞれに異なる個性を出すことで差別化をし、淘汰されることなく、共存の道を模索しているのかもしれない。

少なくとも私は、現段階では「ジェミニの方が何となく役に立つ気がする……」と思いつつも、chatGPTも併用している(※印象は別として、現段階ではジェミニよりchatGPTの方が誤回答は少ないとされている)。「違う答えを導き出す」というのは、違う視点で物事を見ているということであり、それは非常に価値のあることだ。

AIが「完璧な頭脳」なら、おそらく問いに関する答えはひとつなのだが、この世界に無数に存在する情報の中から、どれを選びどれを切り捨てるのか、あるいは全ての情報を平等に扱うのか、それによって導き出される答えも、変わってくるのかもしれない。

自信満々に自らの「正解」を述べるchatGPTとジェミニを見ていると、ふと、AIというのは実は人間と大して変わらないようにも思えてくる。「自分が見た世界」が全てだと信じる、この宇宙と比べればはるかに小さい、愚かで愛らしい生き物である。

さて、私の身近にいる、小さく愚かで愛らしい生き物の話をしよう。

その名を奇怪田猫太郎という。

猫太郎と私、極夢幸雷は現在、ストップモーションアニメーション『STRANGE ELECTRIC DREAMS』のチャプター1の第一話を撮影中である。すでに楽曲のレコーディングは終えており、あとは動画の撮影なのだが、これがなかなかに難航している。

我々も機械のように、気持ちや体調に左右されずにハイスピードで仕事をこなせれば良いのだが、なかなか思うようにはいかないものである。

日々、暗い室内で人形に向き合い、ひたすらにシャッターを切り続ける作業は、最高に興奮する瞬間のひとつでもあり、同時に精神力を削っていく。

そんな日々の疲れをリフレッシュするために、我々は先日、某イタリアンレストランへ向かった。値段を気にせず、満腹になりたい気分だったのだ。

そして席につき、私はお決まりのシナモンフォッカチオに、サラダ、ドリンクバーなどを注文していく。猫太郎も何か注文していたが、私はティラミスを頼むか頼まないか、ギリギリの瞬間まで悩んでいたので何も聞いていなかった。

そして席に料理が届いた時、私は目を疑った。猫太郎が、フォッカチオ(プレーン)を注文していたのだ。チーズでも、新商品の明太子でもなく、ましてやシナモンでもない。何も載っていないただのプレーンである。

(こいつ……トッピングの数十円をケチるほど金に困っているのか?)

私は憐れみの目で猫太郎を見つめた。猫太郎はそんな私の視線に気づいているのかいないのか、スッと立ち上がりドリンクバーへと飲み物を取りに行く。そしてコーヒーを片手に満面の笑みで戻ってきたかと思うと、こう言った。

「俺ねぇ、実はやりたいことがあったのよ」

猫太郎は、いつもこのような、妙にもったいぶった話し方をする。

そしてその話し方に、私は毎度のことながらついつい「ほほう……?」と身を乗り出してしまうのだ。

猫太郎はドリンクコーナーから持ってきたスティックシュガーとミルクポーションを手に取り、これから手品でもするかのように私に見せつけると、何とそれを「ただのフォッカチオ」にかけ始めた。チーズでも明太子でもシナモンでもなくわざわざプレーンを頼んだくせにこの仕打ちとは、フォッカチオへの冒涜である。

ドン引きする私を横目に、猫太郎はわざわざナイフとフォークを使ってフォッカチオを切り分けると、その切れ端を私の皿にひょいと置いた。

「これね、やばいから。食べてみて」

いらない、と思ったが、猫太郎はまるでクリスマス前の子供のような、キラキラとしつつも妙な圧のある目でこちらを見ている。仕方なく一口食べて、驚いた。美味しいのだ。

どのくらい美味しいかと言うと、これが商品化されてメニューに載っていないのが不思議なレベルである。

「何これ、超おいしいじゃん」

私が言うと、猫太郎は得意げに続けた。

「でしょ。高校生の時に友達に教わったのよ。これを考えたやつ、天才だなと思ったもん。大人になってからやってなかったけど、久しぶりに食べたくてさぁ」

どうやらこの美味しいフォッカチオレシピは、横流しだったらしい。

猫太郎は私がフォッカチオの美味しさを認めたことに満足した様子で、「やっぱりうまいな」などど言いながら自分の分のフォッカチオを平らげていく。

(それにしても……こんな裏技があったとは……。世界は広いな)

そんなことを思いながら、私は自分が注文した、シナモンフォッカチオを食べる。

……ぶっ飛ぶほど美味しかった。

ジャリっとした砂糖に、しっかりとした風味のシナモン、そしてホクホクのフォッカチオがたまらない。最高のハーモニーである。

先ほどの「フォッカチオのスティックシュガー&ミルクポーションがけ」を考えたやつが天才なら、このシナモンフォッカチオを考案した人は、神である。

しかしこれは、あくまで私の個人的な好みであり、感想だ。

世の中にはシナモンが好きではない人もいるだろうし、そもそも値段だって違うのだから、「対等な勝負」とも言えない。

どちらが良い、優れている、正しいということではなく、どちらも正解であり、どちらも不正解でもあるのだ。

シナモンフォッカチオがあまりにも美味しいので、2枚目を追加注文すると、猫太郎がどこか不服そうな顔でこっちを見ていた。「なぜプレーンフォッカチオのスティックシュガー&ミルクポーションがけをしないの?」という顔だ。

色々説明すると長くなるので、「美味しいけど、これは大人がやるもんじゃない」と一言言うと、猫太郎は「ぐぬぬ…確かに」と黙った。

さて、chatGPTとジェミニなら、フォッカチオに関して、いったいどのような議論をし、どちらを「正解」とするのだろうか。あるいは「正解なんてない、選択は自由だ」とでも答えるのだろうか。

AIは答えを思考することはできるが、答えを「持って」はいない。けれど、猫太郎と私は、それぞれに正解や不正解を持っている。

これが好き、これが嫌い、これがやりたい、ここに行ってみたい……。

STRANGE ELECTRIC DREAMSは、我々にとって唯一無二の、絶対的な「正解」なのである。

そんなことを思いながら、今日もギターを引き、シャッターを切る。

動画は2026年春、公開予定!


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